次女は何をしていたか(障害・病児のきょうだい)
次女は長女より3学年下(実年齢では3歳半下)。
長女の側弯症が「バレた」時に小2、「治療が必要」でバタバタする時には小5という時系列です。
次女自体は小児期の病気とは無縁の「フツーの子」。
そして、もの心ついた時には「姉はフツーじゃない」状態の家族ですごしていました。
自分より余分なオプション付きの姉を当たり前に受け入れる。当然、でも(もやもや)。
これ、よくわかります。
なぜなら私も、障害者の家族として、脳性まひのおばと、大卒まで過ごしましたから。
障害者のきょうだいが味わう「割食ってるな」感を知っています。ええ、母のことです。
自分自身は、おばの生きざまを誇りに思うとともに、「理想」やら「理念」やらを唱える前に、理不尽な行政の制度・暮らしの上での差別という「現実」を味わってきました。
おばに接することで、何となく長女や次女もその辺は「フツーの人」より敏感になっていましたね。
家族の紹介のところでも書きましたが、次女は「癒し系」「自己主張はしない」タイプ。
彼女のそれは「利他的」なのです。
次女は長女に対し、とにかく「ただのおねえちゃん(途中から「ポチ」を飼い始めた)」として接していました。
フツーにポチとは距離を置き(自分では飼えない(装着とかできない))、姉と接し、姉の八つ当たりに耐えながら「ぼや~ん」と過ごす。
すると姉が「フツー」になってくれる。うれしい。
自分は自分で部活頑張る。趣味のスポーツ観戦も盛り上がる(姉置き去り)。
休暇の時、いとこ といれば、いつもの「余暇」が過ごせる。
姉の通院の時にはちょっと我慢する(実際、体調不良で保健室とか事後報告のこと多数)
それでいい。
爺&婆には甘える。お母さん(meteo)には甘える。お父さんにも甘える。
但し、姉の空気を読んで。
「私がちょっと配慮すれば」そういう感じでいたのだと思います。
見抜いてましたよ、母は。育ちは侮れません。
「フツーに」していた次女には、折をみて「スペシャルタイム」を設けていました。
(中身は内緒)
たいてい、長女の「テスト週間」「友達と遊びに行く日」のほか、「次女と母とで目的があってお出かけの日」もあり、また「長女が寝落ちした日」に急きょ設定されることもありました。
十分かどうかは甚だ疑問がありますが、どうしても「長女中心」に回る一族で「二の次」にされる次女に「家族はどうしても長女を支えなければならないけど、あなたのことも同等に大事な存在だよ」と伝える機会が必要と、当初から現在に至るまで考えています。
当時に、「あなたも大人と同じくらい、妹として姉にできることがあるんだよ」とも。
幸い次女は、「割を食っている感」はあるやもしれません(本当にどう考えているかは、わからないでしょう)が、「自分も大事にされている」「自分もこの家族の一員だ」と感じているらしく、いまのところ厚かましいくらいに普通に育ち、普通に次女&末っ子体質を体得するとともに、生まれ持った「人を支える気質」をもって、姉の療養生活を支えてくれる貴重な戦力となっています。
長女の治療のみちのりで、同時並行にて「おばの闘病と死」を経験することになるmeteo。
次女も同じように「姉の病気」「大おばの闘病と死」を彼女なりに受け止め、咀嚼していることを私が知るのは、もう少し先になります。
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