すべての山に登れ 戦闘系ワーママのWLB日記(側弯症の子と家族と仕事と私)

パワハラやマタハラなんて概念もない時代から、妊娠・出産・育児(現在進行形)を何とか乗り切って生きてきた、周回遅れのオバサン管理職。
子育てもひと段落し、ほっとしたところで判明した、子どもの病気=特発性脊柱側弯症。
病気の進行&手術&看病そして成長の記録や、「子育て」+「子どもの病気&看病」を中心に「そんな状況でまだ働くの?」という邪気のない問いにより気づかされた「WLB」という名の無間地獄まで、幅広く繰り広げられる各方面との戦いの日々を、思いつくままに書いていきます。

滑り出しは速攻で?(専門病院受診開始)

前回、専門病院受診に向けて、家族・職場・その他に協力を依頼しておりました。
今回はその結果というか、経過について記します。
この病院は国内1・2を争う側弯症の治療実績を誇り、先生方は海外専門医とのコンタクトを取りながら日々治療とともに研究を重ね、様々なお弟子さんが旅立っている、そんな病院です。


我が家にとってほんとうにラッキーだったことは、この医療機関と「車で10分、公共交通機関を利用して25分の距離」に住んでいた点と、父母ともに(特に父)職場と医療機関がかなり近かった点です。


そのうち記載するかもしれませんが、私は、この後、長女のこと・おばのこと、妹のことをふくめ、幼い時よりひごろ謙虚(お参りの際、いわゆるお願いだけはしない、現状報告と決意表明、今後の一家の見守りをうっすらお願いするタイプの付き合い方)な神道信者であったにもかかわらず、「今まで払った金返せ!」と喧嘩を売ることとなるのですが、


「全国1・2を争うすごい専門家の方達がいる病院にこんなに近いところに住んでいる」


ということだけは、素直に感謝の意を伝えています(神様に)。


さて、私は予約の日までに職場に長女の状況を伝え協力と配慮を依頼し、快諾をいただきました(私の「貼り付け業務」以外の企画調整などをきちんとこなすことが条件でしたが)。


また、先の記事にも書きましたが、学校には電話&手紙&面談にて、担任の先生(人として器が大きい方でした)に直接お話しすることができ、学年&養護教諭で見守っていただけることを約束してくださいました。


夫は、上司にだけは状況を伝え、いざという時(いずれ来るかもしれない手術等)に休暇を取ることを宣言し、部下や同僚にはぎりぎりまで内密にしていく方針でした。これも、職場と医療機関が至近だったからできた技(受診付き添いも昼休みや早退でカバーできる)と思いますが、家族の病さえ、表明する必要があるのにそれができない、男性の「両立の山」は、女性より険しいと感じたものです(これについては、今回の病気以前のエピソードを含め、どこかで記載できたらと思います)。


爺&婆は、最初はかなりショックを受けていましたが、先天性障害や不治の病に慣れているので(決していいこととは思いませんが)次女も含め、今まで通り我が家のサポートをする決意をしてくれました。


妹については、まだ他人の病について聞くだけの余裕はなかったので、改めることにしました(妹の病については、おいおい私も協力することになります)。


そして、今まで主語として出てこなかった次女ですが、これがすごかったです。
もともと「すべて受け入れる」タイプの、よく言えば癒し系、悪く言えば抱え込みすぎのまま10年間生きてきた子ですが、長女の病気について説明し、今後の見通しについて話したところ、


「うん、よくわかったよ。また色々教えて。お姉ちゃんとおうちのことは協力するし」


この一言でした。


その後、現在に至るまで、姉のわがままや馬鹿話に付き合いながら、自分のドジに姉を巻き込みながら、そんな日常の中での「入院時の留守番」「食事、入浴、着替えの介助」まで、何一つ文句を言わず、むしろ「これが家族の自然」として生活しています。
彼女にとっては、これが一番「当たり前の生活」なのでしょう。


特別何か抜きんでたところがあるわけでもない次女ですが、もしかしたらすごい人物かもしれない、と常々思うのです。