すべての山に登れ 戦闘系ワーママのWLB日記(側弯症の子と家族と仕事と私)

パワハラやマタハラなんて概念もない時代から、妊娠・出産・育児(現在進行形)を何とか乗り切って生きてきた、周回遅れのオバサン管理職。
子育てもひと段落し、ほっとしたところで判明した、子どもの病気=特発性脊柱側弯症。
病気の進行&手術&看病そして成長の記録や、「子育て」+「子どもの病気&看病」を中心に「そんな状況でまだ働くの?」という邪気のない問いにより気づかされた「WLB」という名の無間地獄まで、幅広く繰り広げられる各方面との戦いの日々を、思いつくままに書いていきます。

どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!!

2014年5月、医師に思い切り叱責された。


診察室のPC横のモニターには、胸椎・腰椎ともにCobb角40度程度、美しいダブルカーブの脊椎レントゲン写真が映し出されていた。


これが長女の背骨か。
叱責されるまま、言葉もなかった。
理由はどうあれ、受診を怠り、病気の進行に気づけなかったのは私なのだから。
そして、この叱責は、以後私をずっと呪縛することになる。


長女は小5の健診での指摘から、特発性脊柱側弯症と診断され、経過観察のため年1~2回、近所の整形外科に受診していた。


この整形外科の医師からは、


「この病気は、ほとんどの人は治療が必要になるまで進行しません。
治療が必要になったらすぐに専門病院を紹介しますので、これから骨の成長が止まるまで、年2~3回経過観察をしましょう」といわれていた。


以後、真面目に年2~3回(先生がその都度次の受診時期を指示)経過観察に通った。
この時点での進行はほどんどなく、小6の冬の受診時も問題なく、
「次は1年後の受診で大丈夫」と言われた。


ここで家族ともども、安心という名の油断をしていた。


その整形外科が、突如閉院した。
ほかに行く当てがないまま、見た目はあまり変化がないからと油断。私が多忙だったこともあり、1年ちょっとの間、未受診で放置。


この間に急激に側弯が進行していたのだ。


見た目で分かりにくかったのはS字カーブのなせる業だったらしい。双方バランスを取り合って、そんなに進行していないように外見上は見えていた。


未受診なのはずっと気にはなっていて、中2の春、近所に開院した整形外科に受診のブランクを正直に告白して受診したところ、見出しのような事態となったわけだ。


医師からは
「この角度だと、装具治療でなく、手術という判断になるかもしれない。とにかく専門病院に早急に受診を」と言われ、看護師に案内され別室へ。
看護師が専門病院に紹介と受診予約をしてくれるという。
「とにかく専門病院に早い時期で予約をとるようにしますから、受診してくださいね」
という前置きのもと、予約交渉開始。


ところが、私のスケジュールとことごとく合わない。


「〇日の10時からは?」「すみません、一日出張です」
「△日の14時からは?」「すみません、プレゼン入ってます」
「*日の15時からは?」「すみません、来客予定です」


以上のようなやり取りをしながら、脳内で動かせそうな予定を必死で探し、
最終的に2週間後の午後に無事予約が取れた。
長女は早退になるのを嫌がったのだが(皆勤賞狙いだった)、そこは何とか折れてもらった。


粘り強く予約を取ってくれた看護師が、本当にほっとした表情で
「近い日に予約できてよかった」と言ってくれた。ありがたかった。


と同時に「そんなに深刻なのか」と気づいた。そしてやっと、事態がのみ込めてきた。


*長女の側弯症は、手術が必要かもしれないほど進行している。
*長女に最善の治療を、今度こそ怠慢なく受けさせなければならない。
*これから我が家は、長女の治療を核とした長期戦にのぞむことになる。


この時、決めたことが2つ。
*とにかく明るく乗り切ろう。私が落ち込んだり泣いていたら話にならん!
*長女が女性として自信を持って生活できるよう、最後まで守り支える!


「もう暗いからとっとと帰ろう」「そうだ、帰ろう帰ろう」と2人で自転車こいで帰宅。
すでに帰っていた夫と留守番の次女に事と次第をあっさり報告したのだった。


 「お姉ちゃん、とりあえず大きな病院で治療だって!さ、夕ご飯ね~」