泣き言は言わぬが花(長女の性格について)
あれこれ(一応)経時的に書いてきましたが、当の本人はどうだったのか?と疑問に思う方もいるかもしれません。
結論から言うと「動じない。冷静に事務処理、そして強烈な発言」以上です。
専門病院受診時までのバタバタ時も、冷静に早退時のノートコピーなどを友人に依頼していたし、親しい学校の先生には親より先に自ら根回ししていた様子。
受診時に「装具のち手術」と画像付きで説明を受けても冷静に「はい、わかりました」。
装具の採寸も冷静にこなし「なんか塗るのが冷たかった」との一言で終了。
3D画像で背骨のねじれっぷりを見て帰宅後「私の背骨、私の性格並にねじれてるわ」
(さすがに先生の前では言えなかった様子)。
そしてさらに続いて一言
「たらたら装具治療なんかせずに、今すぐスパッと切っちゃいたい気分だけど、
まだその時期じゃないならしょうがない。残念!」
このあたり、彼女の居合切り上等な性格と、育ちの中で培われた諦観が表れています。
同様に、かなり後日、婆が初めて装具をみた時の長女のコメントも同様で、
「たぶん2~3年つけて手術で、さよならする。それまでのお付き合い。
じゃなきゃ、こんなもん、今すぐ、窓からぶん投げる類のものだけどね」
ちなみに以上の発言はすべて穏やかなトーンで発してます。我が娘ながらお見事です。
思春期の一番楽しいころ、受験で一番大変なころに忍耐のいる治療を長期にわたり受ける。そのピークが脊椎を金属で矯正するという手術。身体に異物を挿入することにより左右されるその後の人生。
当の本人が何も思わないはずもありません。むしろ絶対に強烈な嵐が吹き荒れていたと確信しています。母としては、水面下でそう思いながら、今現在まで接してきています。
他人の前では表情ひとつ変えず、自分の状況を冷静に受け入れているように安心させながら、時折本気のコメントをさらりと滑り込ませることで、周りの大人に彼女の「本当の気持ち」を気づかせる。
親としてはもっと感情を爆発させてもいいのに…と思うのですが(特に厳しく自己表現を制限するようなしつけはしていない…どちらかというと放任)
たぶん、すべてのどろどろした感情は自分の中で処理してしまう性質なのでしょう。
ちなみに装具については、年頃の娘であることと、装具ならではの不便さ、装具で生じる痛みなどがあり、結構感情が表に出た場面もありますが、行動はともかく発言は終始こんな感じでした。
そんな装具に「ポチ」と名付け、「ポチの家」という名の簡易収納を作り、自らの病と治療を受け入れることにした彼女が、これからどのように装具治療と生活の折り合いをつけていくのかは、また今度記載します。
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