すべての山に登れ 戦闘系ワーママのWLB日記(側弯症の子と家族と仕事と私)

パワハラやマタハラなんて概念もない時代から、妊娠・出産・育児(現在進行形)を何とか乗り切って生きてきた、周回遅れのオバサン管理職。
子育てもひと段落し、ほっとしたところで判明した、子どもの病気=特発性脊柱側弯症。
病気の進行&手術&看病そして成長の記録や、「子育て」+「子どもの病気&看病」を中心に「そんな状況でまだ働くの?」という邪気のない問いにより気づかされた「WLB」という名の無間地獄まで、幅広く繰り広げられる各方面との戦いの日々を、思いつくままに書いていきます。

速攻は無駄に終わることもある(専門機関受診まで)

お待たせしました。いよいよ受診です。


長女と2人で予約時間の30分以上前に到着。
紹介状とかかりつけ医の画像データを渡し、医療機関側の指示に従います。


受付曰く、受診前に
①まず、この病院でレントゲンを撮ってきて下さい(色々種類があるので)
 とったらフィルムを受付に持ってきて下さい
②身長・座高・アームレングス(つまり両手を平行に開いた距離)を自分で図って下さい(慣れるまで超難しい作業でした)
③ ①②が終わったら、受付に申し出て診察を待ってください。
そんなこんなですでに30分経過。今後は受診予約前30分に病院に来て下さい!と受付に言われる(そんなこと、知らんよ…ていうか、本日も来てましたし)


そして、ひたすら診察の順番を待つ。ひたすら待つ。たぶん2時間ぐらい待ったんじゃないか。
(その後、2時間は待つことを想定し、長編小説や問題集や仕事の資料をもって受診することになります。疲れているときは爆睡するまでに慣れ切ることになります)


この日はいつのまにか夫も合流し、3人で診察室に呼ばれることとなりました。
この時点で3人とも、お察しの通り疲れ切っています。


さて、主治医となる先生は、丁度仕事盛りという感じのてきぱき要点を話す先生でした。
先生曰く、


① Cobb角は胸腰椎ともに30度代後半。胸椎よりは腰椎の.湾曲がおいおい問題になる。


② EOS(という3Dレントゲン装置がある)で撮影したが、側弯だけでなく、前後弯も大きい(つまり、左右だけでななく、前後にも弯曲があるということ)のが気になる(ただの猫背&お尻ぷりぷりだと思っていたぜ。情けないことです)


③ まだ骨の成長は終わっていない。
装具を着け、骨の成長が終わるまでに40度までいかなければ、手術をしないことも選択肢として可能。
また装具は入浴以外つけていることが望ましい(それが無理でもできるだけ長い時間)
(業界では一般的に「1日23時間装着」とよく言われる)


④ 装具で角度が改善することはない。あくまで「進行をとめる」もの。
厳しいことを言うが、この年齢でここまで進行すると、装具治療でも進行を「止める」ことはむつかしい。


⑤ 主治医としては、骨の成長が止まった時、手術が必要ない程度に「進行をゆっくりにする」、また手術が必要となったとしても、側弯ができるだけ重度でないようにするため、成長が止まるまで装具治療を推奨する。


⓺ 装具作成とともに、念のため先天性疾患のための検査を別日で行う。
(側弯が先天性疾患の「一症状」として発言している場合、治療方針が変わるので)
とのことでした。


本人は「特に生活上困難を感じていない」との主張の上「将来的に問題が起こるのなら、装具をつけます」といいました。
この時点では「学校にもつけてく。外出でもうまいことつけてくよ」と自信満々に言っていましたが…


親としては、手術になっても、カーブが緩やかならその分いいのでは、と考え、装具治療の方向でお願いしました。まことに身勝手ではありますが、先天性の病気でないことも祈りました。
今日はこれで診察終了。


そして、装具を作成するための「ギプス室」にて型採取に入ります。
こちらから様子をうかがうことはできなかったのですが、本人曰く、


「何か棒みたい?なもの(実際は幅20センチくらいのバンド)の上に寝かされ、両手両足を大の字に釣られて、アニメ見ながらラップで体をぐるぐる巻きにされた。そして、冷たーいものをその上から塗りたくられて、冷たいのが固まるまで動かないように言われたまま、ひたすらアニメ見てた」


つまりは胴体部分の型どり(つまりはギプス的な作業)をしていたと思います。


その後、ギプス室の方から
①今回の採寸をもとに、試作品を作成
②試着して調子の悪いところを修正
③その後、完成
④装着してしばらくしてから、先生の診察(←ここまででだいたい1か月かかる)
⑤料金はいったん10割負担後ここで支払うこと。
 ただし、医療保険の制度で7割戻る制度があるので、夫の勤務先(長女は夫の扶養)に問い合わせること


という説明を受けました。


この時点で、すでに5時過ぎ。
3人ぐったりとして帰りました。


自宅では、次女と婆が待ち構えており、一通りの説明をし、今後の協力依頼事項について、次女と婆においおい依頼する旨、伝えました。
2人とも本当に緊張して待っていたみたいで、あまりいい話ではないにもかかわらず、なんか聞いてほっとしたような感じでした。


人間、先が見通せるとうれしいものなのでしょうか。
婆はおばの看病もあるので、あまり大きなことは頼めません。
おばについては、相互協力していこうと(心の中で)誓いました。



それにしても婆、健康のためとはいえ、夜道を徒歩で数キロ帰宅するのは危険です
(夫が送ることに)。


夕飯はあらかじめ作っておいたものをアレンジ、とにかく次に進むことができるので、
それに向かって行こうね、というよう、なんだか明るい食卓でその日を終えました。
あまり深刻にならないのが、我が家のいいところですね。


とにかく、一歩でも山を越えるために足を進めることは大事。
そしてそれは、できれば深刻ぶらないほうがいい。楽しいほうがいいから。


予想した通り、装具ができてからひと悶着あるのですが、それはまた別に記載します。